マサオのブログ

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「親ガチャ」って言うけど、そもそも人生自体ガチャ

今年ネットを賑わせた「親ガチャ」というワード。

自分は個人的にこのワードに違和感を覚えた。

なぜか?

 

だって親ガチャ以前に人生自体ガチャだろ?

 

 

 

1.「親ガチャ」はある

まず、自分は「親ガチャ」はあると思っている。

ぶっちゃけ、無いという方が無理だろ。

例で考えてみる。

  • 子供の将来を広げるため援助を惜しまない親
  • 子供を自分の老後のための保険と考える親
  • 子供を虐待する親

一言に親といってもこれだけ違うのだ。

そして、子供は親を選べない。

この事実を前にして、親ガチャが無いと言えるか?

親ガチャはある。これは間違いない。

無いという方が無理だろ。

 

2.「親ガチャ」という言葉はなぜ反響を呼んだ?

「親ガチャ」という言葉に対して、「周りのせいにするな!努力不足だ!」という意見を聞く。

確かに一理ある。

だが、もはや努力でどうにもできない状況だとしたら・・・?

 

親ガチャという言葉が反響を呼んだのは、若者のどうしようもない閉塞感が背景にあると思う。

「努力でどうにかできる問題じゃない・・・」という、絶望に近い閉塞感だ。

生まれた家、つまり親でこんなにも人生が左右されるのか・・・という諦めに近い感情だ。

 

働いても働いても貧しい。

教育の機会に恵まれなかった。

金銭的理由から夢を諦めた。

 

もし、裕福な家庭に生まれたなら・・・

もし、支援してくれる親だったら・・・

もし、可能性を教えてくれる親だったら・・・

 

もしかしたら、、、もしかしたら違ったんじゃないだろうか?

 

親ガチャの背景は、残酷な世の中を見せつけられた若者の悲鳴だ。

自分はアラサーだが、この気持ちは分かる。

 

「あまりにもスタートラインで勝負が決まっているじゃないか・・・」

そんな気持ちになる場面は無数にある。ありすぎるくらいだ。

 

3.「親ガチャ」以前に人生自体がガチャ

親ガチャはある。

それは間違いない。

だが、親ガチャ以前に人生自体ガチャだ。

 

親ガチャって言うけど、ランダムで決まるのは親だけじゃない。

家族、友達、恩師、同僚、上司、部下・・・、いずれもランダムだ。自分じゃどうしようもない巡り合わせで決まる。

ランダムで決まるのは何も人だけじゃない。自分が所属する組織だってそうだ。

学校、会社、サークル・・・、いずれも入ってみて初めて分かることは多い。組織もいわばガチャだ。

まだまだある。人生を大きく左右するような出来事が偶然で起きることなんざ珍しくない。

人生を一変させるチャンスやアクシデントが、いつ・どのようにやって来るなんて誰も分からない。

 

そもそも人生自体が予測不能なガチャなのだ。

 

4.人生がガチャなんて言えるお前は、どうせ恵まれた人間だろう?

「人生がガチャなんて言えるお前は、どうせ恵まれた人間だろう?」

そう言われると否定できない。

 

自分の家は裕福ではなかったが、両親は教育を重視していた。

子供だった自分に、学びの重要性・学びによる可能性の広がりを教えてくれた。

裕福でないにしても、自分は親に恵まれていた。

 

そんな自分が何を言っても、説得力は無いかもしれない。

だが、それでも自分は人生自体がガチャだと考える。

 

自分がこの考えを確信してる理由は、ある本の影響が大きい。

 

夜と霧」という本を知っているだろうか?

 

 

ユダヤ人の精神科医がナチスの強制収容所に収容され、生還するまでを書いた体験記である。

この本の著者であるフランクルは、自分が知りうる中で最も過酷な人生を歩んだ人だ。

 

収容所でのフランクルの体験は、正直言って想像を絶するものだ。

ブラック企業がかわいく見えてくるほどだ。

国家権力が労働力を搾り取り、使い捨て、動けなくなったら殺す。

あまりにも、あまりにも理不尽で過酷な状況だ。

 

これほどに過酷な経験をしたフランクルは「人生はガチャだ」と言っている。

 

だが、この言葉には続きがある。

フランクルの言葉を自分なりに意訳すると次の通りだ。

 

人生は全員異なる。

誰一人として同じ人生は無い。

幸運もあれば不幸もある。

だが、あなたの人生はあなたしか生きることが出来ない。あなたはあなたの人生に選ばれた。その人生に、どう答えるかはあなた次第だ。

恵まれた境遇、不幸な境遇、その状況に置かれてどう動くか?どのような姿勢で臨むか?

「何で自分の人生は!?」と言いたくなるかもしれない。だが実は逆なのだ。

「君はどう生きるんだい?」と人生から問われているのだ。

我々はその問いに答えねばならない。

 

自分はフランクルの言葉に触れた時、鳥肌が立った。

強制収容所という地獄を経験しながら、こんなにも力強く清々しい言葉を言えるだろうかと。

 

人生はガチャだ。

嘆きたくなることもある。

だが、どれだけ望んでも、誰かの人生に成り代わることはできない。

自分は、自分の人生を引き当てたのだ。

そう、人生に問われているのだ。

「君はどう生きるんだい?」と。

その問いにどう答えるかは自由だ。

 

5.とりえあず「夜と霧」を読んでみな

人生はひどく不平等だ。

裕福な家もあれば貧しい家もある。

スタートラインで全く状況が異なる。

 

このどうしようもない不平等。

絶望的な気持ちになるかもしれない。

 

もし、そんな気持ちを抱えているなら「夜と霧」は心に刺さる本だ。

この本は、うつ病による絶望感と閉塞感に苦しんでいた自分を支えてくれた。

 

「夜と霧」は、ユダヤ人の精神科医がナチスの強制収容所に収容され、生還するまでを書いた体験記だ。

 

強制収容所という文言から、「きっと陰鬱な本だろうな」と思っただろう。

読む前は自分もそう思っていた。

 

だが、実は逆だ。

「夜と霧」は、希望を持つ本だ。

自分は、「夜と霧」以上に希望を書いた本は無いと思う。

どんな絶望の中においても、希望は必ずあると教えてくれる。

「強制収容所という地獄でさえ、生きる希望を持てるのなら、自分だって希望を持てるはずだ」と。

この本は、そこら辺の薄っぺらな自己啓発本とは違う。

少なくとも自分はこの本を読んで希望を感じた。

 

 

勘違いしてほしくないのだが、この本には具体的なHow toは無い。この本を読んだからといって人生が開けていくわけではない。

 

それでも「親ガチャ」あるいは「人生ガチャ」といった絶望感・閉塞感に悩んでいるなら、ぜひ読んでほしい。

強制収容所という、究極のガチャを引き当てた人間が、いかにその困難を乗り越えたかを追体験できるから。